こんにちは、武田です。
突然ですが、芸術鑑賞会で得られる学びって何だと思います?
授業で得られる学びとは種類も内容も違いますが、子どもの成長に欠かせない「生きる力」に直接つながるような学びがあると信じています。
見て聞いて、感じて想像して、笑って泣いて考えて・・・その量と密度は通常の授業よりはるかに大きいモノではないかと認識しています。
そのような経験を通して、子どもたちは何を得ていくのか?
私達が標榜している「心を育てる鑑賞会」という表現は、
芸術鑑賞の場が子どもたちにもたらしてくれるもの、
その本質は「心の成長」であろうということを表しています。
先日の兵庫県加東市での「パントマイム」の芸術鑑賞会を実施してみて、
久しぶりに「学校での鑑賞会という現場」に携わって、
色々と感じました。考えてみました。
6月の兵庫県・・・
ですから、緊急事態宣言下での芸術鑑賞会ということになります。
5月、緊急事態宣言が発出されるという段階で、ご担当の先生とお電話で話し合いました。
先生はおっしゃいました。
「元々は参観日の午後に『おやこ鑑賞』することが目的でしたが、
もうそれはあきらめます。参観自体も中止にします。
でも、鑑賞会は何とかやりたいんです。
そちらのお考えはいかがですか?」
私は答えました。
「芸術鑑賞は私達にとって大事なお仕事の場であり、時間と労力をかけて創り出してきた作品を表現する貴重な機会でもあります。
つまり、不要不急ではありません。
ですから、私達から『やらない』という意思表示をすることはありません。」
この意見交換を事前に交わしておいたことが、
お互いの思いを共有しておいたことが、
結果的に鑑賞会の実現を後押ししてくれることになりました。
もちろん、緊急事態宣言が延長されることになった際の兵庫県の発表・・・
「イベント開催にあたっての方針」も追い風になりました。
それまで(5月11日まで)は、「原則として無観客での開催」が要請されていましたけれど、
5月20日からは、「人数上限5000人、かつ、収容率50%以内なら開催可」
という規制緩和の発表がなされたことです。
出演者の皆さんは、東京から車1台で移動してきてくれました。
学校から6kmほどのビジネスホテルに前泊し、
私も含め外出したのは、目の前のコンビニに買い物に行った1回だけです。
前夜と当日朝の検温、
アルコール消毒、
とにかく出来ることは全部して、万全なコンディションで学校にうかがいました。
そして、無事に終了しました。
子どもたちは初めて目にする「パントマイム」という身体表現に
驚き、笑い、体感し、身体も心もどっぷりと浸ってくれました。
10日経った今、誰も感染した者はおりません。
出演者からも、スタッフからも、学校さんからも。
どうか、主催者の皆さん、
芸術鑑賞会の可能性を、もっと信じていただけないでしょうか?
昨年度はほとんどの学校さんが見送ったことと思います。
1年に1度しかない機会が、すでに昨年は奪われています。
今だからこそ、
「生きる力」の源になり得る、
芸術鑑賞の可能性を、どうか見直してください。
↓これは、加東市の芸術鑑賞会から帰ってきてすぐ、その時の思いを走り書きしたメモの転載です。今回のブログの元になった思いでもあります。
鑑賞会を提供する立場(出演者・制作者・現場スタッフ等)から言わせていただきますと、芸術鑑賞のための移動は不要不急ではありません。
芸術鑑賞会とは、大切な仕事の場であり、かけがえのない創造と表現の場です。ですので、例え緊急事態宣言下であっても、私たちから「実施を控える」という意見は申し上げません。
昨年春に始まったコロナ禍の中、芸術・芸能・イベント・エンターテイメントに関わる業種職種の者は、国や自治体から十分な保証を得ることなく、ただただ仕事・発表の場を奪われ続けてきました。一部の者は存続の危機に呑み込まれ継続を断念しました。相次ぐ中止・キャンセルの中、それでも前を向いて創造と表現の場を模索し続け、何とかここまで生き延びてこられたのは、「人は決して芸術を消さない」という確信があるからです。
そして、この道を進み続けることに大きな誇りと生き甲斐を感じているからです。
芸術を消さないためには「継承」が必要です。
学校で開催される芸術鑑賞会は日本では非常に貴重な「生の芸術にふれる機会」です。この場が失われるということは、子どもたちから「観る力」「聴く力」「感じる力」「想像する力」「自ら発する力」を育む重要な機会が失われることを意味します。
さらに、今ある芸術が継承されなくなる危機に陥るということでもあります。
これ以上、演奏家や表現者が消えていかないよう、今ある芸術を守り、つなぎ、発展させていくことこそが私達の使命であると自覚して、これからも子どもたちに舞台芸術を届け続けることに全力で尽くして参ります。