NO ART, NO LIFE アートはいつでも君のそばに

心を育てる芸術鑑賞会の企画・制作《ひょうげん教育》のスタッフブログです

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生まれた時からずーっとひょうげん!

 こんにちは、武田です。

今日は身近にある「表現」を集めてみたいと思います。

 

 例えば、小中学校の頃を思い出してください。 

国語の時間に教科書を朗読したことあるでしょう?

教科書に落書きした事もあるでしょう?

音楽の時間に歌を歌った事があるでしょう?

美術(図工)の時間に絵を描いたり工作をしたことがあるでしょう?

家庭科で縫物をしたり調理実習で料理を作ったことがあるでしょう?

HR(学級会)で意見を発言したことがあるでしょう?

文化祭・体育祭・合唱コン、どんなかたちでも参加したことがあるでしょう?

コレみんな表現です。

 遊びも表現のかたまりですよね。 思い出してください。

ヒーローごっこ、お人形さんごっこ、おゆうぎ、紙芝居、かくれんぼ、

だるまさんがころんだ、いないいないばあ、おちゃらかほい、変顔…全部表現だ。

 

友達とけんかすることも表現、自分の意見を言う事も表現、悔しくて泣くことも、怒りにまかせて怒鳴ることも表現です。

 好きな洋服を着る。おしゃれをする。トランプでババ抜きをやる。絵本をちいさい子に読んであげる。カラオケで歌う。ちょっとしたダンスを踊る。友達や先生・芸能人のものまねをする。「クセがすごい!」も「調子乗っちゃって!」も・・・みんな表現です。

 幼い時から誰もが重ねている「表現」・・・生まれたばかりの赤ちゃんはオギャーオギャーと泣くでしょ?あれも真剣な表現ですよね。まぶしいよこわいよおなかすいたよ~ママはどこお~?わたしはここよ~!と、泣きながら自分の存在を訴えている、アピールしている。全身全霊をこめてパフォーマンスしているのです。

 とにもかくにも、生まれた時から人はずーっと表現をし続けているんです。意識的にだったり、無意識のうちにだったり、状況によって変わりますが。

 

 人として生まれて、ハイハイからつかまり立ちができるようになり、アーウーと言葉を発するようになると、母親・父親が玩具や人形を使って「遊び」を教えるようになりますね。歌を唄って聴かせるようになる。この時点から「文化」や「芸術」「芸能」の摂取は始まっていると考えられます。

 子守歌で寝つく、でんでん太鼓に驚く、絵本の読み聞かせ、新聞紙をちぎる、ボールをころがす、ペンをにぎって絵(ぐちゃぐちゃ)を描く・・・摂取する、そして、自らが動く。遊びは創造であり表現です。遊びから芸術活動は生まれていくのですよね。

  やがて、絵本は紙芝居になり「園児」となった子どもは集団で鑑賞する事を覚えます。子守歌として聞いていた音楽を自らの声で唄うようになり、やがて集団で唄いながら踊る、オユウギへと進んでゆく。いつだって子どもは、摂取しながら表現していく。いとも自然に身に付けてゆきます。

 

 お正月に門松やしめ縄を不思議なまなざしで見つめ凧揚げやかるたを覚え、節分には鬼のお面が怖くて泣き、おひなさまにあこがれ鯉のぼりといっしょに泳ぎ、夏にはぼんおどりの太鼓の音に驚き興奮し、十五夜を見上げ月の満ち欠けを知り、ハロウインには仮装をして、ジングルベルを聞くとそわそわしてサンタクロースの訪れを心待ちにする・・・

毎日の遊びという小さなローテーションと、社会や環境が提供する「こよみ」に沿った大きなローテーションの中で「季節のうつろい」や「1年という時間の長さ・サイクル」を体感しながら、毎日成長していくわけです。そこで接する芸術や芸能は大げさなものではなく、常に身近にあります。(決してプロが演じるものではないですが)

 さて、ここからがプロが作る「表現」の出番なのですが・・・

日常からぐっと踏み込んで、高度な技術をもったアーティストによって、

趣向と演出を凝らした芸術作品を観る…それが何をもたらすか?

 子どもの「知的好奇心レベル」がぐんと上がります。

その振り幅は、日常で得られる刺激をはるかに超える大きなものなのです。

指人形は幼稚園でも作るし、作った人形で子どもたちは遊ぶでしょう。

しかし、プロの人形劇を見たら、そんな「遊び」は一瞬で吹っ飛ぶ!

自分がつくったモノとは全く次元が違う人形が、目の前で動き、語り、笑い、泣き、飛び跳ねる・・・

 びっくりした次の瞬間には「お話」にひきこまれて声も出ない。(我が子がそうでした)

おかあさんといっしょ」のチョロミーやガラピコを見る時(TV・バーチャルを見る時)とは明らかに違うんです。

見終わった後には、人形が何で出来ていて、どうやって動いているのか?母親にしがみついて問いただす。あいまいな解答をしようものなら「ちゃんと教えろ」と親を叱咤する・・・(うちのコです)

 先程言いましたが、知的好奇心があふれ出るのですドバドバとモノスゴイ勢いで。 見る前と見た後では、子どもの勢いが違うんですから。モノスゴイ刺激を受けて、それがどこへ向かうかは分からないが、明らかに活力になるわけです。

大げさに言えば、人生にメリハリができるのです。 ダイナミックになるんです。

完成度の高い「表現」は、子どもの「明日」を生きる活力になる。

 素晴らしいと私は思います。

だからひょうげんはやめられません!

 

 

あ、続きはあらためて。 

お読みいただき、ありがとうございました!